全国で10人の優秀賞を受賞した文章とは – 成功体験からの気づき
私はどうやら生まれつき先天的に文才を持っているらしく、幼いころから特別な努力や勉強をすることなく何度もお偉いさんに文才を評価されてきました。そこで、過去に私が文才を評価されたときのお話しをします。
※読者が有益となるようにお話しします。受賞した文章を紹介するわけではありません。
そのため、このお話しを私の自己満のお話しと捉えるか、あなたの文章能力や何かの気づきに活かすかは、あなたに委ねます。
人間は自身の失敗体験から学ぶこともできますが、賢い人間は他者の功績や成功体験から何かを学ぶことができると言われています。
それではお話しします。
私は運が良いのか、小学生の頃から社会人に至るまで、何故か文才を評価されてきました。今回はその中でも、今からさかのぼること十数年、私が高校生だった時のお話しをします。それは、多くの学びやすいポイントがあったからです。何かの気づきになってもらえれば幸いです。
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嫌いなことは簡単なことでモチベーションを上げられる
私が高校生だった時、夏休みの宿題として「税の作文」を書くという宿題がありました。その宿題は私にとって、かなり厄介なものでした。今でこそ多くの本を読み、ブログも書く私ですが、当時の私は本を読むのが大嫌いだったのです。ましてや文字を書かなければいけない作文なんてものは大大大嫌いでした。
ただ、
夏休みの宿題の作文はそれなりにやる気をもって必死で書きました。
なぜやる気をもって取り組めたかというと以下のようなことがあったからです。
受賞すれば景品がもらえる
なんとも現金で単純な動機づけでしたが、嫌いなことをしなければいけない私にとっては大きな「やる気のきっかけ」になりました。
やる気のきっかけというのは、本能的なものであればあるこそ単純であり、力にもなるのです。人間の理性ではなく、本能的な感性に働きかけるからです。
夏休みに何かを成し遂げたかった
どうやら人間は充分に時間があれば、何かを成し遂げたいと思うようです。夏休みという時間のリソースをたくさんもらっていた当時の私は、何かを成し遂げたいと思っていました。もちろん作文で評価してもらうことに全力を注ぐつもりはありませんでしたが、少なくとも夏休み中に取り組むことは、時間がいっぱいあったので何に挑戦したとしても頑張ろうという思いがありました。
若干のプライドと希望があった
今回は紹介しませんが、小学生や中学生の頃にも私は文才を評価される出来事がありました。そのため今度もやれるんじゃないかという思いがありました。これは今まで評価されてきた経験に基づくプライドや希望があったのかもしれません。
やる気と時間を費やした結果
大大大嫌いであったものの、上記の通りやる気と時間だけはあったのでそれらを存分に使いました。(といっても半日で仕上げていたと思います。ただ、当時の私が半日も嫌いな作文を書いているなんて凄いことでした。)
結果、誤字脱字のある文章にも関わらず、全国の優秀賞を受賞することができました。当時私が受賞した優秀賞は全国で10人だけだったようで、気付けばその10人のうちの1人になっていました。当時の応募総数は記録にありませんが、平成30年度は218,208作品あるようなので、そこからすると栄誉ある賞だと思います。
誤字脱字があってでも受賞したということは、どうやら誤字脱字は主催側からすれば小手先の技術だったのかもしれません。もしそういう基本的な文章校正能力が問われているのであれば確実に受賞していなかったでしょう。
それではなぜ私が受賞できたのか。それは、私がきっと求められていることに応えられたからだと思っています。作文で受賞するためではありますが、やる気をもって能動的に相手が要求しているテーマについて調べ、高校生なりにまとめて成果物にしたからです。
相手の立場になってみれば、きっと作文を上手に書いて欲しいのではなく、テーマであった「税」についてもっと関心を持って欲しかったに違いありません。その相手の気持ちに当時の私は応えられたんだと思います。
文章の書き方を変えてみる
さて、いままでは敢えて読み手が学びやすい文章を記述してきました。きっと学ぶポイントがわかったはずです。今度は書き方を変えていきます。敢えて学ぶポイントを記さずに文章にします。
しかしながら、学べる人であればきっと気づきは生まれるでしょう。私は以下のように思っています。
「時に人は答えを聞くよりも気づきのほうが重要なことがある」
※答えを聞くのは受動、気づきは能動に繋がると思っています。能動的に得られた気づきは、頭を使って考え出した分、あなたの力になるはずです。
だからこそ、私は答えを書くのではなく、気づきを生むような文章を書いていきたいです。あなたにも何かを感じ取ってもらえれば幸いです。
小説やコラムのように書いていきます。
受賞の結果は唐突に訪れた
受賞の事実を知る瞬間は、貴重な体験だったので今でも覚えています。
作文を提出してからしばらく経ったある日、私は担任教師に呼ばれました。
「校長先生が君のことを呼んでいるみたいだ、校長室に行きなさい。」
理由も教えてもらえず校長室に行くよう指示された私は、「まさか退学にでもされるのか?」と緊張が走りました。特に悪いことをした覚えはありませんが、良いことをした覚えもなかったからです。
しかしながら、校長室に踏み込んだ時、一瞬でその場の空気が私を歓迎していることを感じ取りました。部屋に入るやいなや、校長先生が握手をしてきて「よくやってくれた」と言わんばかりの顔をしていました。
軽い挨拶を済ませた後、私は校長先生から「私の作文が全国で優秀賞を受賞した」ことを伝えられました。この時にやっと自分が呼ばれた理由がわかり、功績の喜びよりも安堵の気持ちでいっぱいでした。
校長は上機嫌で「受賞してくれて私たちの高校も鼻が高いよ」とも褒めてくれました。こういった校長の表情や言葉から少しずつ自分の功績を感じ始めることができた私は、「実際はただ景品が欲しかった」ことは触れず、目の前の事実を喜ぶようにしました。
あらためて
私は後日あらためて全校生徒の前で表彰され、賞状と景品を頂きました。景品は当時としては最先端で珍しかった電波時計でした。この電波時計はなかなか優秀で、十数年以上経った今でも動いています。(電池は取り換えていますが動作しています。)
実は私は中学の時にも、ある文才が評価されて全校生徒の前で表彰されました。そのため、中学の時にも表彰されたんだから、高校でも皆の前で何とかして表彰されたいと日頃から思っていました。良くも悪くも名誉欲というか、プライドのようなものがありました。その欲を上手くコントロールできたからこそ、結果に結びついたのかもしれません。
私たちは時に欲や人間本来が持っている心の弱さに負けることもあります。ですが、成果に結びつけられる時というのは、それをもコントロールして味方にしている時なのかもしれません。
この気づきは、作文に活かすだけではなく、社会人となった今でもあらゆる仕事に活かすことができる力になっています。私たちは自分や他者の過去の成功体験から学ぶことができるのです。
そして今の自分にあらためて応用することもできるのです。
Fin.
あとがき(おまけ)
さて、何かの学びになれたでしょうか?
以降のことは愛すべき読者さんには能動的に自身で文章から学ぶ力を発揮してほしいので書きたくないのですが、情報をまとめて提示することも時にまた愛すべき読者さんのためになると思ったので、成功体験に基づく「仕事で成功をおさめるべき特徴」をまとめました。
何か仕事で成功したいと考えているなら、今のあなたが以下を満たせているかチェックしてみてください。
仕事で成功をおさめるべき特徴
- 人間が本能として持っている欲に基づくような単純な動機付けがある
- どんなことにも挑戦する気持ちと勇気がある
- 成功体験や知性に基づく勝算のある自信を持っている
- 自身よりも他者のために、自ら能動的に学び応えるマインドがある
いかがでしたか?
もし当てはまるようでしたら、後は頑張って成果に結びつけていくだけです。
心配ありません。
成果とはマインドやプロセスの上に出来上がるものなのできっとあなたはおさめることができるでしょう。
逆にもし自信が無いようでしたら、マインドやプロセスを1度見直してみましょう。何かの気づきが見つかるはずです。
どちらにせよ、この文章をここまで読むことができたあなたは、努力も野心もある人です。それと同時に、きっと素晴らしい人なんだと私は思います。
そんなかたの何かの気づきになれば幸いです。